
はじめに
現代のデパートでは、ボタン一つで動く自動エレベーターが当たり前となっていますが、昭和の時代、特に高度経済成長期には「エレベーターガール」という職業が存在し、百貨店の象徴的な存在でした。
今回は、若い世代にはあまり馴染みがないかもしれない「エレベーターガール」という職業について掘り下げてみたいと思います。
エレベーターガールとは?
エレベーターガールとは、百貨店やデパートなどで、エレベーターを操作する女性スタッフのことを指します。
現在のように自動運転ではなく、エレベーターには操作レバーがあり、そのレバーを操作して上下の階に移動させる専門の係員が必要でした。
その役割は単にエレベーターを動かすだけではありませんでした。
彼女たちは
- エレベーターの運転操作
- フロア案内(「〇階は婦人服売り場です」など)
- お客様への挨拶や接客
- デパートの顔としての役割
を担っていました。
エレベーターガールの誕生と黄金期

エレベーターガールが日本の百貨店に登場したのは大正時代からですが、本格的に花開いたのは昭和30年代から40年代(1955年〜1970年代)の高度経済成長期でした。
この時期、百貨店は消費の象徴として大きく発展し、エレベーターガールは「憧れの職業」とされていました。
エレベーターガールがいた主な百貨店
昭和時代、多くの百貨店でエレベーターガールが活躍していました。
代表的な百貨店を紹介します
大都市の主要百貨店
- 三越(日本橋本店、銀座店など)
- 高島屋(日本橋店、大阪店など)
- 大丸(東京店、大阪・心斎橋店など)
- 松坂屋(上野店、名古屋店など)
- 伊勢丹(新宿本店など)
- 西武百貨店(池袋本店など)
- 阪急百貨店(梅田本店など)
- 東急百貨店(渋谷本店など)
- そごう(横浜店、大阪店など)
- 丸井(新宿店、有楽町店など)
- 小田急百貨店(新宿店など)
- 京王百貨店(新宿店など)
地方の代表的百貨店
- 札幌:丸井今井
- 仙台:藤崎
- 金沢:名鉄百貨店
- 静岡:松坂屋静岡店
- 名古屋:名鉄百貨店
- 京都:大丸京都店
- 神戸:そごう神戸店
- 広島:福屋
- 福岡:岩田屋、博多大丸
- 熊本:鶴屋
これらの百貨店では、エレベーターガールが制服に身を包み、百貨店の「顔」として接客していました。
各百貨店によって制服のデザインや色は異なり、それぞれの百貨店の個性を表現していました。
美の基準と厳しい採用

エレベーターガールになるためには、非常に厳しい採用基準がありました
- 身長160cm以上(当時の日本人女性の平均身長を大きく上回る)
- 均整の取れたスタイル
- 美しい容姿
- 高い接客マナーと明るい性格
これらの条件を満たした、いわば「選ばれた美女」たちが、華やかな制服に身を包み、デパートの「顔」として活躍していました。
特徴的な制服とトレーニング
エレベーターガールといえば、その洗練された制服も特徴的でした。
多くは
- ハットやベレー帽
- ジャケットとスカートの上品なスーツ
- 白い手袋
- パンプス
といったスタイルで統一され、百貨店ごとにデザインが異なっていました。
また、彼女たちは徹底したトレーニングを受けていました
- 完璧な姿勢の保ち方
- 美しい所作
- 明瞭な案内アナウンス
- お客様への丁寧な対応
これらのスキルを身につけるため、入社後も継続的な教育が行われていました。
エレベーターガールの日常
勤務中のエレベーターガールは、
常に笑顔で
「〇階でございます。婦人服売り場でございます」
などと明るく案内しながら、
レバーを操作してエレベーターを滑らかに止める技術も求められました。
特に混雑する時間帯には、エレベーターに乗り切れないお客様の整理や、エレベーター内での立ち位置の案内なども行い、常に冷静さと気配りが必要とされました。
衰退と現代

1970年代後半から1980年代になると、自動運転エレベーターの普及により、エレベーターガールの数は徐々に減少していきました。
また、バブル経済の崩壊とともに、デパートの合理化が進み、多くの百貨店でエレベーターガールは姿を消していきました。
現在では、一部の老舗百貨店や特別なフロアなどで、伝統を守るために配置されている場合がありますが、かつての全盛期に比べるとごくわずかとなっています。
文化的影響
エレベーターガールは単なる職業を超えて、昭和の時代の記憶として多くの文化作品にも登場しています
- 映画やドラマでの象徴的なシーン
- 小説の舞台設定
- 昭和を振り返る写真集や展示
彼女たちの存在は、日本の高度経済成長期の象徴として、現代でも郷愁を誘うものとなっています。
まとめ

エレベーターガールは、単にエレベーターを操作するという機能的な役割だけでなく、百貨店の華やかさや洗練された接客、そして昭和の繁栄を象徴する存在でした。
テクノロジーの進化とともに実用的な役割は減少しましたが、日本の商業文化の歴史において重要な位置を占める職業であったことは間違いありません。
今では懐かしい記憶となったエレベーターガールですが、彼女たちが体現していた丁寧な接客の精神は、日本のおもてなし文化の一部として今も受け継がれているのではないでしょうか。
この記事があなたの昭和の記憶を呼び起こすきっかけになれば幸いです。
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