50歳というのは人生において大きなターニングポイントです。
体力が落ち、どんどん経済力をすり減らしていく50代から先の人生。
一部のエリートや、多くの金融資産を持つ男性以外の50代は人生に不安を感じがちです。
50歳くらいから何をやってもうまくいかないと感じる人も多いはずです。
以下、
大殺界で仕事も貯金もなくし人生オワコン
そんな50歳無職で無力な私の思想です。
死ぬ権利(安楽死)について言及するものなので、労働者階級の一庶民が老後不安で思うことを書いておりますので一般人の考えに興味ある方のみ御覧ください。
50歳以上の男性は生きる意味がないby武田邦彦氏
50歳になって人生うまくいかない私は最近GoogleやYouTubeで多くの「50歳」の現実を調べています。
そこで見つけたのが「50歳以上の男は生きる意味がない」という衝撃的な内容のものです。
武田邦彦氏がポッドキャストで配信した音声がYouTubeにあります
50歳以上の男性は生きる意味がないという部分だけ切り取られたものなので、大げさに聞こえるかもしれません。
本来の生物としての人間の役目
時代におけるオス(男性)としても役目
そういったものが現代社会では50歳を過ぎた男性は人間として機能しないといった内容です。
個人的には完全に同意できる内容です。
50歳を過ぎて自分の存在意義を説明できる男性はいないともいわれています。
動画内の言葉一部抜粋
男は生きる意味がない
人間は誰にも生きる権利がある
それは当然として
この発言の意味は
動物というのはすべて自分が生きるだけというのでは価値がない
本人だけが生きたいというのは意味がない
動物も人間も同じ
その生命がほかの生命を関わり合いをモテることで意味を成す。
繁殖、子育て、という生きる価値です。
女性は繁殖、子育てで20代30代と生きる価値がある。
50歳を生きて閉経した女性は生きる価値が無いといわれていた、
しかし、最近では他人への介護などで女性は50歳を過ぎても価値があると考えられる。
男性は
昔は25歳から50歳までは徴兵制で国や女性を守るために価値があった
狩りを行うオスとしての価値があった
しかし現代の男性は徴兵制もない、命を危険にさらす狩りもない。
現代男性はなにのために生きているか?科学的に解明されていない。
科学的に「なにのために生きているのか?」解明されていない
つまり生きている価値がないという話です。
生き物は生きる価値がなくなると死ぬ
死なないまでも他人へ文句を言ったり嫌がらせをする
50歳を超えた男性は生きる価値がなくなると他人へ嫌がらせをする
現代の男性は
25歳までの男性も戦争へ行くこと無くただ生きているだけ
25歳以上の男性も戦争へ行くこと無くただ生きてるだけ
オスはメスを守るために生きる価値がある
地球上に55歳の男性一人しかいないと仮定すると
この男性の存在に価値があるのか?と考えると
繁殖の可能性もないため生きる価値はないと考えられる。
50歳過ぎて妻にお金を渡さない男もいる
自分だけ生きれたらそれでいいという男は生きる価値がない
といった部分抜粋です。
これに反論したい男性がいるのも理解できますし、私のように同意する人が多いのも理解できます。
今の日本では50歳超えた男性は生きる意味を自分自身で理解できない人は多いことでしょう。
だからこの年頃になると、
人生うまくいかない、、
なんて思いがちなのかもしれません。
50歳すぎて人生うまくいかない理由
日本においては戦争のあった70年前までは生きる意味があった。しかし、現代社会では50歳を超えた男性は繁殖も終え、守る義務もなく生きる価値はないとなるようです。
あくまでもそういう科学があるというだけですが、なんとなく耳が痛いものの意味が分かる内容です。
50歳以降の人生はそれまで積み上げてきた周囲への信頼と実績に基づいて形づいているはずです。
会社員で40代なかばまで努力を積み重ねてきたけど、リストラで40代後半から職を転々とする
50代になり社会環境の変化で離職においやられ人生の出直しを見計らっている
そういう状況の50代なら不安が多い日々を過ごしていることでしょう。
逆に、若い頃から積み上げた努力と信頼と経済力のもと、老後までなにの不安もないという方はおそらくこの記事を見ることもないはずです。
みんな50歳超えると不安だらけ
高度経済成長時代に、親の世代から教えられた常識はただの古い洗脳です。
学歴を作り就職しても永年勤務なんて無い時代になりました。
こんな時代だから、今生きる意味がわからず困惑する50歳でが多いわけです。
50歳から先を生きる意味
50歳から先に生きる意味って何ですか?
これに答えられない男性は生きる価値がない
あなたは50歳を超えて生きている価値を社会が認めてくれる人ですか?
社会が認めない限り生きている意味はない
武田邦彦氏の話はそういう科学的な解釈のお話でした。
そういう科学的なお話があるので、
50歳過ぎてなんかやるきでないなあ、、
というのは自然なことだと思うわけです。
別にあなたが悪いわけではない
平和すぎて、我々普通の50代が生きる意味が見出しにくい時代というだけなのです。
そう思って先細る人生
過去の習慣を見直したりするのが現代の50代です。
姥捨て山の歴史がある日本
日本は姥捨て山という昔話があるような国です。
老人が多く、食い扶持が重荷になれば老人を切り捨てる思考の民族です。
当然です。
数少ない若者に負担かけてはいけません。
でも、
捨てられるのは怖いから、できれば無痛で苦しまず死ねる権利が欲しいものです。しかも無料で。
絶対に自殺はしてはいけません
自殺は法が許可する時代になるまで許されません。
高齢化で若者の負担が増え続ける社会では50歳以上の人間は病院で人生終了の注射うてる権利とかできたら「50歳から先の人生不安」とか「老人介護で親子そろって食べるのが不可能な生活が続く」こういう悩みもなくなるんでしょうけどね。
日本の65歳以上の貧困率とか知りませんが、仮に老後貧困率が50%超えるような国なら多くの庶民はそういう、「無痛で死ぬ権利」を欲しているんではないかと思う次第です。
老人の殺人事件は愛ゆえに
67歳の娘が89歳の母を殺害
78歳の夫が75歳の妻を殺害
こういったニュースを見て報道が「殺害」といった殺人事件を報じるのみですが、これの裏側はすべて貧困が原因の愛ゆえに仕方なく死を選ぶという実話があるはずです。
介護親子や介護夫婦の家庭で起きた殺人事件。
そんな報道は表面だけ見てたらなんだか凶暴な老人に見えるかもしれませんが、愛ゆえに、苦しい貧困、長く続く貧困、誰も助けることができない貧困ゆえに、悲しい結末を選択している現実があるはずです。
愛する家族同士だからこそ選択する悲しい道だったりするはずです。
報道ってそういうとこ触れられないから怖いものです。
扱う事件、その裏側にある人間心理と真実を見てみたいものです。
愛する息子、愛する娘にこれ以上無理させたくない
「私をこっそり逝かせておくれ、、」
そういう母子の愛情の結果選んだ結末を、殺人として取り扱う報道。
幼稚園に乗り込んで無差別に子供を殺害する犯人の「殺人」と愛ゆえに選ぶ人生の結末を補導する「殺人」はまったくもって意味が違うはずです。
貧困ゆえ家族同士が命を経つ行為は現代社会こそが犯人なのです。
殺人とは呼ばず、貧困による共同自殺などと表現を変えてほしいものです。
死ぬ権利について みんなの声
「死ぬ権利」という表現・言い方は不快だ。#安楽死#死ぬ権利 #拡散希望RT
— くらんけ® (@BloomIn2U) August 22, 2019
死ぬ権利をTwitterで探したら、結構賛成派が多い…
いいの… か?
権利があれば、自殺者が減る
なんか変じゃないかな。
名前が法律が変わっただけで、
中身は自殺と同じだよ。
権利があっても、法律が許しても、
自殺者は減ることはないと思う。#死ぬ権利— 梨木みつき (@nashi_mitsu) July 21, 2019
自殺は家族の哀しみが有ります。そして宗教的にはキリスト教は自殺は家族まで罵声されるようです。しかしながら周囲の人にはいずれは忘れられます。首等など吊らずにキチンと安楽死すれば周囲に迷惑かけず、恐怖も少しは少なく死ねると思います。#自殺 #安楽死 #死ぬ権利 #バセドウ病
— こう猫@バセドウ病 (@tabunnekodarou) June 20, 2019
50歳くらいまで生きたなら、人生のリセットボタン押す権利くらい与えてほしいよね。未来ある他人を殺めて自らも死ぬより、他人に生きる可能性を与えて(臓器の提供とか)自分で命を絶つほうが尊厳も保たれるよ。追い詰められて疲弊した人には、楽になる選択肢もいるのでは?#死ぬ権利 #登戸
— Zoh (@Zoh888) May 28, 2019
自分がこの世で存在理由が無くなった時に、死ねる権利を認めて欲しい。自暴自棄の犯罪や迷惑かける自死が減らせます。他人やものを巻き込まず、迷惑をかけずに逝く。それも死にゆくものが持つ優しさの一つ。そういうものだと。私も医療従事者の末席を汚したものの一人です。#尊厳死#死ぬ権利
— ひろ⊿𝓟𝓮𝓻𝓯𝓾𝓶𝓮和楽器𝟡𝓷𝓲𝓷𝓮奈々様 (@umiyuki_63925) October 9, 2018
日本人は、苦しくても歯を食いしばって生きる事を、美徳とします。しかし、その考え方が、自殺大国にしてしまったとも言えます。苦しかったら、無理して生きなくても、楽に死ねるという選択肢がある事が、そんなに悪い事でしょうか? 私はそうは思いません。#安楽死 #国立安楽死施設 #死ぬ権利
— 暗黒人生 (@donzoko20) June 16, 2018
経済的に不利な状況に追い込まれる「労働者階級」
われわれ労働階級の人間は長く生きても悲しい現実しか残されていません。
その現実を、そろそろしっかりと報道し、対処してほしいと思う次第です。
50歳で貯蓄なし、仕事も変えざるを得ない、そんな状況にある多くの労働者には悲しい未来しかないんです。50歳過ぎたらそういうのが全部見えるから「うまいこといかない人生」と感じるわけです。
自営業でオワコンな私です。
そんな労働階級の私が70歳くらいまで生きてしまった場合、このままいけば、おそらく極度の貧困に苦しむはずなので、先に上げた「人生終わらせます権」的な権利を遂行できる国家であって欲しいと思う今日このごろです。そのほうが悲しむ人、苦しむ人が減るはずです。
国民に死を選ぶ権利推進党という政党が生まれたら人気出るはずですよね。
若者も年寄りも投票したい人は多いはずです。
今の国家には
「特定の年齢以上なら無料無痛で死ねる権利」が必要なんだろうなと思う次第です。
しかしながら
キリスト教が支配する地球にある国家である限り、こういう尊厳死や安楽死といった死ぬ権利は決して認められないというのが現実のようです。人生の終末で高額な医療費を奪い取るシステムから逃れることはできないということです。
現実は宗教とか関係ない国なのに、こういうの宗教が絡んでくるからややこしいみたいですね。。
死ぬ権利について
できることならば
自分が貧困に苦しむ高齢になった際は
誰にも迷惑のかからない方法で
法律に則った方法で
無料で無痛で
みんな幸せなうちに
人生修了の選択をしたいものです。
以上、
50歳無職の遠吠えでした。