旧知の間柄だからといって「どこへ向かってるんですか」というコメントする残念な人

長いこと生きてる人も

そんなに長く生きてない人でも

 

周囲にこんな人がいるかも

 

 

これTwitterで多くの人がシェアしてるツイートです。

 

 

スポンサーリンク

私はどこへ向かっているのか?

ココ最近、思うのです。

私(「めだか(管理人)」)は一体どこへ向かっているのか?

 

  • ブログ自体も商品レビュー主体から自分自身の思考メモとなりつつあり
  • YouTube始めたり、別のYouTubeチャンネル始めたり
  • ミスター消費マンのはずが50歳を迎えるにあたって断捨離を決意したり
  • 限られた時間を収益サイトの更新ではなく個人ブログの更新に使ったり

 

正直、自分で自分がどこ向かってるのか全くわからないでっす。

 

でもね、

そんな自分に向かって

「どこ向かってるの?」

とか言う人いたら、よく見てみるといい。

そういう人ってまったく動けてない人なので将来不安で仕方ないのではないでしょうか。

 

かくいう私も

このままではオワコン確定なのでもがいてる次第です。

  • グーグルに依存しすぎる生き方をしていた
  • 入ってくるお金を上手に動かせなかった
  • 年齢とともに目が見えなくなっている
  • 年をとっても好きなことなら継続できる
  • やっぱりパソコンのキーボード叩くのが好き

 

こんな要素が重なり合ってブログ書いたり、動画撮ってみたり、

まずは自分がやれそうなことをしているだけなのです。

 

 

50歳になって思うこと

 

50歳ってなんか特別感があるのです。

30代や40代で感じ得なかったなんとも言えない焦燥感。

 

もうこれ以上、自分は良い暮らしができないのか?とか、このままあとは下るだけなのかな?とかどうもそんなふうに考えがち。

人生100年時代

前人未到の高齢化社会を迎え、

人生100年時代

我が国では年金受給はは65歳から70歳へ先延ばし

 

つまり70歳までは労働者として生きねばならず

その後30年は雀の(T_T)のような貰えるかもらえないのかわからん年金で暮らさないといけない。

 

きっと今よりも目が見えないはず

きっと今よりも足の関節固くなってるはず

きっと今よりも頭の回転カチンコチンになってるはず

 

そんな70代以降の人生

嫌でも生きなければならないのです。

 

 

最終的に肉体が動かなくなるのはわかっている

自分はどこに向かっているのか?

 

  • 50歳にもなって何者でもない自分
  • 一生暮らせるほどの資産もない

誰もが出資したくなるようなビジネスや信用を積み上げたわけでもない

 

ただただ、その日暮らしな生活が続く労働者です。

ラットレースから抜け出せず、日々の暮らし、先の人生に不安を持ってしまう労働者です。

 

どこに向かってるのか?

 

そんなのわからない。

 

ただ、元気なうちに出来ることは全部やっておきたい。

後悔ばかりの人生で、やらない後悔の数は減らしたい。

 

まあそんなとこでしょう。

 

「どこへ向かってるの?」

などと平気で言える恥ずかしいヘタレの声

何も動けないヘタレの声なんて

私には聞こえもしません。

 

でもね

過去を振り返ると

がむしゃらに動いた後、

かならず経済的自由は訪れています。

 

渡しの場合は今まで動かなすぎたので、いまさら動いている。

ただそれだけです。

 

さあ、あなたもどっかへ向かおうZE!

動いてると楽しいYO