貧乏人が勘違いする自由とは?お金?自由を履き違えてしまった反面教師語る

自由って何だろう?

来年50歳を迎えるのにわからない。

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勘違いしてた自由

朝起きて、なんかいい天気だから

「今日は作業なんかやめてドライブや~」

平日の午前中から奈良までドライブ

すると天候も気分も舞い上がり

車の調子いいからさらに三重県のサーキットまで遊びに行く

タイヤとガソリンとオイル使い倒して

帰りに温泉入って、お気に入りの定食食べて。

夜は友人とミナミで宴会

 

あー、なんて自由なんだ~

 

というクソ勘違い生活を続けてたら人生オワコン気味になっている

超絶ヤバメの50歳を迎えることになる男です。

家の中無駄なものだらけの貧乏人です。

 

 

断舎離しながら最終的には持ち家も手放そうかといろいろ調べていると。。
【持ち家が売れない】もうすぐ売れなくなる上に売却で500万円も損をするの?3つの事例で見る不動産査定術

 

貧乏人が憧れる自由のイメージ

そもそもですが、

これ書いてる私が自由を未だに知りません。

 

そんな人間の書くことなので話半分に聞いてもらえるといいのですが、

考えようによっては

誰もが陥りやすい勘違いな自由

を私が知っているのではないか?

と思ったので反面教師がここに語ります。

 

自由とは好きなときに好きなことできること?

自由って何?と聞かれると、誰もが答えそうな回答。

あなたの思う自由はなんですか?

「え~、自由に遊べて、自由にモノ買えて、自由に旅行できるとか~」

まあ、そんな感じの自由をイメージしてる人は多いハズ。

宝くじ3億円当たったら何に使うか?と似た回答かもしれませんね。

 

私のイメージする自由はそうでした(笑)

 

たしかにね、

月給15万円で自由に使えるお金が月に1万円程度。

この生活レベルだと見える自由、イメージできる自由がこんな感じになる。

 

仮に月給50万円で自由に使えるお金が20万円あっても同様。

もうちょい自由に使えるお金があればなあ。。

みたいな思考を持ってるうちはイメージは近いかと・・。

 

消費に頼る自由は危ない

お金があれば自由に過ごせる。

仕事もせずに、好きなときに旅行して、好きな物食べて。。

 

毎月100万円

給料とは別に毎月100万円入ってきたらどうしますか?

 

100万円あればこんだけ遊べる

  • 毎日一人20,000円の北新地の寿司屋へ食べに行ってもお金余ります。
  • 毎日キャバクラ行って1時間ずつ2店舗ハシゴしてもお金残ります。
  • 毎月アウトレットで50万円分大人買いしても大丈夫。
  • 今週はソウル、来週はグアム、再来週はハワイ、、

みたいに遊んでいてもお金は余ります。

 

給料に手を付けずにそんだけ自由に行動を選べます。

 

月に100万円というお金が入るとなかなか自由になれますよね?

 

でも、

それってほんとただの消費です。

 

使ったらそのお金は戻ってきません。

そのお金が入り続ける限り、入る金額程度の活動は可能です。

 

しかし、毎月ハワイ行ったり、ブランド物買えたり、高級レストランへ行けても。いくら消費にお金を使ったところでお金が増えない。

夢見たような生活してるけど、なんか自由じゃないと感じます。

貧乏な頃イメージした「自由な行動」がごく普通の日常と感じるようになります。

 

そして、

そんな金銭感覚アホ脳になると、そのお金の使い方がベースになる貧乏脳へ発展します。

 

もっと金がほしい!

月に100万円、自由に使えるお金がある。

それでも普通すぎて不足を感じ始める

 

月に200万円使えたらどうだろう?

 

月に200万円入ると

  1. 毎晩行くキャバクラがまあまあええ店になる
  2. 普通に外食しててもお金がなくならない。
  3. 税金きっついなあ、、なんか使わないと
  4. 中古車ならばだいたいどんな車種でも買える
  5. お金余ってるから投資でもするか

 

みたいな感じでまた少し違う自由

「お金の使いみち」に広がりのような自由を感じる。

 

しかしですよ、

そこも消費メインで見ちゃうと、その生活パターン自体が日常化してしまうのは同じ。

 

こんな感じ

  • たしかに、今の生活は自由だよ
  • 好きなときに寝て、
  • 好きな時移動して、
  • 好きなとこ行って、
  • 好きなもの食べて、
  • 少なことしてる。

 

でも

なんか虚しい。

こんなことしててもお金と時間を費やしてるだけ。。

 

これが永遠に続くとは思えない。。

 

不安すぎる。。

オエっ!!(ゲロ)

 

という感じで、

自由には見えるけど、ぜんぜん自由じゃない感じに気づき始める。

 

消費面での行動は上限は低いもののわりと好きな行動ができるけど、未来に対して不安を感じてしまったりするので脳があんまり自由じゃない気がする。

 

貧乏時代が長く、金持ちに嫉妬心をもったりしてるとこんな状態に陥いるかもしれない。

じゃあ月に1000万円使える金があれば

このあたりからは私は経験してないのでわからないけど、

多くの資産家やビジネスオーナーが

年収2000万円超えたあたりから何も欲しくなる。

とか考え方が変わるといった表現をよく聞きます。

 

年収1億レベルとか知人にはいないのですが、売上ベースならいくらでもうるので彼らのお金に関する考え方を見ていると

 

増えないものには使わない

増える可能性がない方向へは使いたくない

 

お金に関する考え方はわりと統一されてるように感じます。

 

月に1000万円も自由に使える状況って会社経営してても、投資でそこそこ儲けても到達できないゾーンです。

そのレベルでも結局消費目線でお金を使うと同じく将来みじめな状態になるらしい。

 

偉人が言っていた。

私は貧乏なので自由を知らない

私はそんな派手に使えるお金は持ってませんが、今、べつに自由ではないという感覚ではないんです。

 

お金を派手に使うことが自由だと思ってる人は多くないかもしれない。

時間を好きに使えることが自由だと考えてる人が多いかも知れない。

 

どちらにしても

自分の望む行動に必要な経済的コスト

自分の望む行動に必要な場所と時間

これらが同時に達成できてこそ「自由」を感じやすい。

 

貧乏な頃イメージする自由ってそんなものなのかな?と思うのです。

ある金持ちの言った「自由」

ビジネスオーナーで年収というか年商で10億円を超えるような人。

自身で動かせるお金も多く、生活面での不安など一切ない。

数千万円の高級車を乗り換えるような人が一人知り合いにいるんだけど

 

その人に教えてもらったこと

 

今も別に好きなことできるし、自由ですわ

でも、20代でお金なかった頃のほうがもっと自由やった。

どっちでも向かっていけるというか、なにの責任もなかったので楽やった。。

 

なんとも印象的なセリフで忘れられないのですが、

 

 

自由のためにお金(経済力)あがあればイメージは広がりますが

実は自由のためにお金なんて全くいらないときもある。

 

若い頃というのは背負うものが無いから大いに自由である。

そというふうに考えることもできる。

 

年を取りいろんなものを背負うから自由がなくなる。

それらを背負ったまま自由を実現するにはお金がいるとも考えられる。

 

 

だから、若いうちから将来考えて

上手に時間とお金を使いなさい!

 

そう教えられたかった半生である。